経営学と経済学
地域により差があるように「現実のリソース」と呼ばれるものが本当に不足して当然なのか、燃え尽きてしまうのはナイーブで要領が悪いための自己責任なのか、どちらの考えが長期的に問題解決につながるかという問題だと考えました。
id:ohkami3 さんのコメントへの返事ですが、長くなるので別途エントリーをあげて書きます。
「リソースを増やす」議論はもちろんアリと思います。ただし、それは別個に切り分けて議論すべき話だと思います。
経済学では、各主体(個人・企業、およびそのほかの組織体)の行動が市場原理にゆだねられた場合の帰結(均衡)と、そこでの資源配分の効率性や社会的総余剰の適切さについて分析したり、社会システムの構造を物象化の機序を明らかにしつつそこに生起する論理と動態を明らかにすることに重点が置かれる。それに対し、経営学は、いかにすれば企業(およびそのほかの組織体)がその業績や効率性を向上させることが出来るかを明らかにしようとする(Caves, 1984年)。つまり、社会全体を見るか、一組織を見るかの違いである。
Wikipedia の記述にあるとおり、社会全体を見るのは、経営学というより経済学の範疇*1と思います。
一組織としての「ある特別養護老人ホーム」もしくは、「災害現場に駆けつけた医療チーム」が、どうやってそのパフォーマンスを最大化するか、という考え方が「経営学」であり、そこに外部からリソースを供給*2という話は「経済学」もしくは「政治」の範疇と思います。もちろんどちらも大事だし、相矛盾するものではないと思います。
トリアージ議論の発端となった福耳先生のエントリーにも、以下のように書いてありますね。
ちなみにここでいう「全体最適」とは、経済学的な社会全体の最適ではなく、文脈からもおわかり頂けると思いますが経営組織論的な、「災害支援組織と被災地域全体での最適」という意です。