「かわいそう」という感情は経営学の守備範囲外


ええですから、「ナイーブ」ではなく両立するんですよね。了解しました。

id:ohkami3 さんのブクマへの返事ですが、またしても長くなるので別途エントリーをあげて書きます。

何も前提条件がなければ「かわいそう」という感情をナイーブと切り捨ててはいけないのですが、ここには経営学の授業、という前提があるんですよね。

かわいそうという感情は、経営学の守備範囲ではないと私は思います。それは「政治」の守備範囲だと思います。

福祉に外部からリソースを投入する、すなわち介護保険料をアップするとか、他の支出(道路とか防衛とか)を削って福祉に回すとかという決定は、政治なのです。
経営学は(経済学も、かな)「適正な介護保険料率は?」や、「道路建設予算を減らして介護に投入することは是か非か?」等という問いに対する最終回答は持ち合わせていません。

そして、政治は民主主義という仕組みでは、最終的には国民ひとりひとりの決定であるべきなのです。ここで、「かわいそう」という感情が反映されるのです。

一つ前のエントリーにも書いたように、「法と経済学」という学問分野は社会の制度設計に資することを目的としていますが、それでも、


但し、資源配分の効率化、最適化を目的関数とする経済学的アプローチは当然のことながら「社会的公正」の要素を考慮しないため(資源配分の最適化が経済「厚生」のみならず社会的「公正」に繋がるといった信仰に近い極端な考え方は除く)、正義の実現という価値判断も必要な法律においては、そのアプローチの限界をも十分に認識すべきであり、経済学的アプローチが普遍的に通用するものではない。
また経済モデルのような高度に抽象的なモデルから得た解が現実社会の中でうまく働くとは限らないが、法と経済学は法という現実社会に密接に関わる分野について経済学を応用する学問分野であることから、常に現実との対話が必要となる。とすると、現実の社会の中では何が経済的に合理的なのかという判断自体が経済学者の間で論争となることも多く、経済学の利用によって現実社会の中で一意に最適な解が得られるとは限らない。

と書いてあるように、あくまで参考に留めるべきであり、政治に優越するものではないのです。ましてや経営学をや、です。決して、学問的に正しいとからといって、民主主義なんか無視していいということはないのです。




【ここからは補足というか余談】

なお、ここでいう経営学、というのは、いま日本の大学で教えられている経営学、を指しています。id:sivad さんがドラッカーをひいて私のエントリとは逆の結論に至っていますが、私の認識は、


ところが、つづいて、何について書いているかと聞かれれば、急に歯切れが悪くなる。経済については随分書いた。しかし、決して経済学者ではない。歴史についても随分書いた。しかし、歴史家ではない。政府や政治についても書いた。しかし、政治学者として世に出たものの、とうの昔にそうではなくなっている。しかも私は、今日的な意味での社会学者でもない。だが、自分がなんであろうとしてきたかは十分承知している。はるか昔から承知している。私は「社会生態学者」だと思っている

であって、ドラッカーという偉大な「人間」を、経営学という枠の中に押し込めることはしたくないのです。「ドラッカー」=「経営学」というのはむしろドラッカーさんに失礼なんじゃないかなーと私は思います。